天の美禄(びろく)、幻の白梅香
琉球国王尚泰の四男「尚順」。(『松山御殿<マチヤマウドゥン>物語~明治・大正・昭和の松山御殿の記録~』<ボーダーインク刊、松山御殿物語刊行委員会編>より)
大ぶりな灰釉(かいゆう)のぐい呑(の)みに氷をひとついれて、泡盛の十五年古酒を満たす。その日の郵便物に目を通しながら、誰を気にすることもなく傍らのぐい呑みに手をのばす。舌の上に広がるとろりとした重み。芳しい香りが口中に満ちて、強張(こわば)った身体がゆっくりと溶けてゆく。一日の終わりのよく働いた身体へのさやかなご褒美です。この香りが「白梅香(はくばいこう)」というものだろうか。手を止めて、ひととき古琉球の時代に思いを馳(は)せてみる。
「白梅香」とは、最後の琉球国王、尚泰(しょうたい)の四男、尚順(しょうじゅん)がその遺稿の中で記している泡盛の香りのことです。尚順は食に通じ、博学の趣味人として知られた人でした。『松山王子尚順遺稿集』によると、よく熟成した古酒の香りは三種しかないと断じています。
古酒とは、現在では三年以上熟成させたものとされていますが、その昔、首里城の酒蔵には百年を越す古酒が南蛮の甕(かめ)に貯蔵されていました。首里城内だけではなく、古酒自慢の大名家では、「金庫の鍵は家臣に持たせても、古酒蔵の鍵は主が自ら所持していた」といわれるぐらいに古酒を大切に保存していたのです。古酒の会などを催して、その香りを競い合い、香りの良い古酒を持つことが名家の誇りでした。
尚順のいう三種の香りとは、第一は「白梅香」で、鹿児島から渡来する高級な鬢付(びんつけ)油の匂(にお)いに似ている。第二は熟れた酸漿(ほおずき)の匂い、第三は雄のヤギの匂いで体臭に近く、すこぶるエロチックだと述べています。
しかし、良い古酒を持つことは至難の業でした。貯蔵する良い甕と仕次(しつぎ)といわれる熟成技術が必要でした。仕次とは、まず数個の甕を用意し、古い順に一番手の親酒、二番手の古酒、三番手の古酒を準備します。そして一番手の親酒を酌みだしたら、その分だけ二番手から補充し、二番手には三番手から補充します。こうすることで親酒は少し新しい酒の刺激を受けながら、風味を増し、熟成が進むのです。こうした泡盛の管理技術を仕次といいます。
尚順自身も失敗を重ねましたが、あるとき旧家伝来の古酒が売りに出されると聞いて、伝を頼って一番手の親酒、二番手の古酒を買い入れ、尚順家の古酒の基礎を作ったと記しています。
現在、伝統を受け継ぐ泡盛の蔵元は47社あり、古酒は苦労せずとも買える時代になりました。しかし、残念ながら百年を越す古酒は先の戦争ですべて失われました。
わたしが初めて泡盛を口にしたのは70年代、新宿の駅うらにあった小さな店でした。当時の泡盛は、ロシアのズブロッカなどと同じく、安くて、強くて臭い、酔うための酒でした。泡盛は戦後のウイスキー全盛時代の苦難を乗り越えて、尚順の記した芳醇な香りを湛(たた)えはじめています。
古酒の香りに就いて記した琉球国の王子、尚順は1945(昭和20)年6月、戦火に追われて避難した沖縄南部の濠(ごう)の中で餓死されました。濠の中には食料も水もなく、弾の跡に溜(た)まった泥水に気休めにフーチバ(蓬<ヨモギ>)を浸して飲んでおられたといいます。享年73歳でした。
高木凛(たかぎ りん)
~赤坂潭亭主人、脚本家、料理研究家~
東京都出身。80年代後半からテレビやラジオの脚本家として活躍。「黄色い髪」(NHK)、「息子よ」(TBS)などを手がけ、「父系の指」
(TBS)では94年度ギャラクシー大賞を受賞。その後、病気療養で訪れた沖縄に魅せられて、東京・赤坂に沖縄懐石料理店「赤坂潭亭(あかさかたんて
い)」を開き、主人となる。
赤坂潭亭ホームページ
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