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白つるばみ

 旅先への手土産に匂い袋を買うことを思い立ち、デパートを歩いていて、ふと足をとめました。通路のワゴンの上に並べられた帯揚げの中に、その色はちょっと顔をだしていたのです。十二単(ひとえ)の重ねのように、艶(あで)やかな色の間にあって、ことさらに主張するでもなく慎(つつ)ましくそこに在りました。金茶にレモンイエローを含ませたような色だといえば近いでしょうか。この色です。昔、母の襟箱(えりばこ)の中にあった懐かしい色。母の好みは限られていて、同じような色を素材を変えて何枚も、吾妻橋近くの染物屋さんに染めて貰(もら)っていました。高価なものではありませんでしたから、半襟(はんえり)を代えることで着物を楽しんでいたのでしょう。普段遣いのものも季節ごとに分けられて、二つ三つ小引き出しのある細長い襟箱に収められていました。その襟箱はわたしの生まれる前から母の手近にあり、軽くて黒ずんでいましたから、焼き桐(きり)だったのかも知れません。戦後、真っ先に浅草の指物師に作って貰ったものだと言っていたのが耳に残っています。

 襟箱には母の色が詰まっていました。あの襟箱はどうしたのでしょう。若いころは、お稽古(けいこ)事や着物にまったく興味がなくて、母の残したものがすっかり散逸してしまった頃になって、少しずつ着物に手を通すようになりました。半襟ではありませんが、この帯揚げの色は紛れもなく母の色です。


撮影:小林浩二
 「この色は何と言うのでしょうね」と店員さんに尋ねてみると、「何でしょうね。黄土色でもないし、山吹とも違うようですね」という。そんなやり取りをしているところへ、奥から年配の女性がやって来て、「これは白つるばみというんですよ」と教えてくれました。橡(つるばみ)というのは櫟(くぬぎ)の古名だと聞いています。つるばみといえば普通には、どんぐりのかさを煮て染める黒っぽい鈍色(にびいろ)のことです。店の看板を作って貰う時に、書の墨色の柔らかさを表現して欲しいとわがままをいってデザイナーを困らせたことがありましたが、その時のやり取りの中で知った色でした。

 そのつるばみを薄くしてゆくと、この白つるばみになるのでしょうか。あるいは別の何かを加えるのかしら。重ねて聞いてみましたが、その先のことは分かりませんでした。

「詳しいことは分かりませんが、昔からこの色は白つるばみというんですよねぇ」。

 そう、昔からこの色はそうした名前でこの世にあった。わたしなど生まれるずうっとずうっと前から。

 母の時代には畳の暮らしに似合った柔らかな色が着物まわりだけではなく、お箸(はし)やお膳(ぜん)、壁の色など暮らしの中にさまざまに顔を出していた。そんなことを取り留めもなく思いだしていると、縁側で午後の陽を浴びながら、半襟を掛け替えている母の姿が一枚の写真のように浮かんできました。縁側には、ささやかでも満ち足りた母の時間が流れていました。

 母の使っていた襟箱はもう道具として使われることはないのでしょうが、あの襟箱に詰まっていた、柔らかで深い色合いまでが今の暮らしから遠いものになってしまいました。母の墓参には、この白つるばみの帯揚げを銀鼠(ぎんねず)の帯に合わせて締めてみよう。着物は紺地の生紬(なまつむぎ)が収まりがいいだろうか。そんなことを思いながら、匂い袋の売り場へと廻(まわ)りました。

高木凛

高木凛(たかぎ りん)

~赤坂潭亭主人、脚本家、料理研究家~

東京都出身。80年代後半からテレビやラジオの脚本家として活躍。「黄色い髪」(NHK)、「息子よ」(TBS)などを手がけ、「父系の指」 (TBS)では94年度ギャラクシー大賞を受賞。その後、病気療養で訪れた沖縄に魅せられて、東京・赤坂に沖縄懐石料理店「赤坂潭亭(あかさかたんて い)」を開き、主人となる。

赤坂潭亭ホームページ

このコラムは asahi.com アスパラ で 2007年4月18日 に掲載されたものです

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『まほろば食堂』とは
高木凛が〈心のまほろば〉綴ったエッセイ集です。
昨年一年間、朝日のアスパラクラブプレミアムコラムに連載されました。


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