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親指シフトよ、永遠なれ

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 わたしのさほど広くない仕事机の上には、2台の電子機器が並んでいます。向かって左側には、やや古びて変色しかかった親指シフトのワープロ。間に数冊の操作マニュアルなどを挟んで、右側にはワープロと同じ会社のパソコンが並んでいます。この『まほろば食堂』もそれらの機器を使って書いていますが、いささか面倒なことをしています。

 まず、左側のワープロで書き、それをオアシス文書のフロッピーに落として右側のパソコンに移動します。パソコンに組み込んだオアシスソフトでワープロの文書フロッピーを読み取り、それをパソコンのワード文書にコピーして、メールでお送りしているのです。便利さが身上の機器を使いながら、何ということかと思います。こうした事態に至ったのは、わたしが『絶滅危惧(きぐ)種』となってしまった親指シフトワープロに親しんでしまったからなのです。

 わたしが最初に大きな箱形のデスクトップワープロを購入したのは、1980年代の半ばでした。当時はテレビやラジオドラマの脚本を書くことを生業としていて、200字詰めの原稿用紙に4Bの鉛筆で手書きでした。あの頃、といってもわたしにはほんの少し前のことのように思えるのですが、若い脚本家がワープロを使い始めていて、諸先輩からは、あんな機械で脚本を書くから、軽いものしか書けないんだ。手書きで一文字、一文字に魂を込めるべきだと戒められていたものです。わたしも、そうだそうだと思っていました。ワープロ書きの原稿など三文安だと思っていたのです。

富士通ワープロ オアシス 30SXII(1990年10月発売、写真提供:富士通)
 ところがある日突然、右手の指先から肘(ひじ)にかけて焼け火箸(ひばし)が当てられているような痛みが走りました。茶碗を持っても激痛が襲います。病院の診断は腱鞘炎(けんしょうえん)でした。その場で右手をギプスで固定されてしまいました。

 当時わたしは、決して売れっ子ではなく、腱鞘炎を引き起こすほど多作していたわけでありません。しかし、書き方に多少の癖がありました。いつの頃からか、一本のドラマを書くときに、原稿用紙を裏返して二段に分け、小さな文字で枡目(ますめ)に捕らわれず、思いのまま書きなぐり、それを原稿用紙に清書する、というのが習慣になっていました。それでもせいぜい人の二倍ではないかと思っていたのですが、わたしの手首は案外に華奢(きゃしゃ)でした。

 高価な箱形のワープロは、当時のわたしにとってちょっとした投資でした。手が動かない間に説明書を読み、ギプスが取れたころから「天声人語」をテキストに練習に励みました。2週間ほどで、手がキーボードの位置をのみ込み、手元を見なくても文字が打てるようになりました。初めは清書用にと思ったのですが、次第に書き直しや、文章の移動や保存などが自在になってくると、台詞(せりふ)が指先を通して自在に画面に現れるようになりました。

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 しかし、この時すでに運命の賽(さい)は投げられていたのです。機器に詳しい知人が、言いました。「文章をたくさん書く人は、絶対親指シフトだ。物書きの世界では必ずこれが主流になる」。わたしはその言葉を信じました。

 最初の箱形から、2台目、3台目と買い替えるたびに機器はスリムになり、漢字辞書の許容量も増えて、わたしにとって実に便利な道具になりました。ワープロの前に座らないと文章が出てこない、というほどになっていました。

 この便利な日本語の道具が、もう生産されないというのです。親指シフトは、ローマ字入力との戦いに敗れ、ワープロ自体もパソコンとの戦いに敗れて討ち死にの危機に瀕しています。

 なぜこんな事態になってしまったのでしょう。思えばコンピューターの時代になって、50文字以上のひらがなを使い文字を入力するひらがな入力は決定的な重荷になってしまいました。そこで登場したのが26文字アルファベットを使い文字を入力するローマ字入力。ところが、日本語を子音と母音に分けて入力することに疑問を感じた人々がいて、日本語なのに英文字を介して書くのは不自然だ。文字で2度キーを叩(たた)くのも効率が悪い。というところから入力に用いるひらがななど54文字がタイプライターと同じように3列のキーに収まり、一文字がワンアクションで打てる親指シフトという独自の方法を考え出したのです。

親指シフトキーボード(写真提供:富士通)
 これはなかなか画期的な発明だったと、わたしは思います。親指シフトは、ローマ字入力の不自然、大袈裟(おおげさ)にいえばローマ字を媒介にしなければならない屈辱的な感じから解放してくれたのです。

 例えば、「まほろば」の「まほ(真秀)」とは優れた、あるいは素晴らしいという意味ですが、その「まほ」と書くにもM・A・H・Oと4回打たねばなりません。なぜ「まほ」という古い日本語をローマ字に置き換えて、いえ、分解して打たなければならないのでしょう。

 そのことならば、パソコンのキーボードを親指シフトに変えればいいんですと言われましたが、そうは行きません。わたしのパソコンも勿論(もちろん)、親指シフトのキーボードに替えてありますが、パソコンはまるで多重人格。文字配列は同じでも、機能が多すぎて疲れます。愛用のワープロは素朴でメールを送ることも出来ませんが、人間が使いこなす道具としてのほどを心得ているような気がします。あれもこれも出来るという必要はないのじゃないでしょうか。

 わたしのワープロはキーが緩み始めて、強く叩かないと印字されない文字も出てきましたが、もう買い替えることが出来ません。修理の部品もないので、終わりだそうです。良いもの、優れたものが勝つとは限らないのが世の常とは思うものの、どうぞ、壊れないで。わたしが元気な間は一緒に側にいて。親指シフトのワープロよ、永遠なれ!

高木凛

高木凛(たかぎ りん)

~赤坂潭亭主人、脚本家、料理研究家~

東京都出身。80年代後半からテレビやラジオの脚本家として活躍。「黄色い髪」(NHK)、「息子よ」(TBS)などを手がけ、「父系の指」 (TBS)では94年度ギャラクシー大賞を受賞。その後、病気療養で訪れた沖縄に魅せられて、東京・赤坂に沖縄懐石料理店「赤坂潭亭(あかさかたんて い)」を開き、主人となる。

赤坂潭亭ホームページ

このコラムは asahi.com アスパラ で 2007年6月13日 に掲載されたものです

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『まほろば食堂』とは
高木凛が〈心のまほろば〉綴ったエッセイ集です。
昨年一年間、朝日のアスパラクラブプレミアムコラムに連載されました。


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