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無心の沖縄 -大嶺實清さんの器-


いずれも大嶺實清氏作(撮影:小林浩志氏)
 大嶺實清(おおみね・じっせい)さんの器を見ていると、いまつくり出されたものではなく、そのスガタはずっと昔からあったような錯覚を覚えることがあります。その丸み、ゆがみ具合、これが少しでも違っていたら、このどっしりとしたゆるぎのない存在感は得られないでしょう。その迷いのないスガタは、沖縄の土が無心の作者の身体をくぐり抜けてこの世にあるという感じがします。

 はじめて實清さんの器に出会ったのは十年程前、那覇の安里にある第一ホテルのロビーでした。そこには、陶器を中心とした沖縄の民芸品がいっぱいに並べられていました。それらの品々はこのホテルのオーナーの島袋さんが選び抜いたものばかりで、どれもおみやげ品の域を超えています。

 赤坂潭亭の店作りが始まろうとする頃で、店で使う器を決めるつもりで那覇にゆきました。朝食を待ちながら、ロビーのガラス棚に並べられた器をゆっくりと見る時間がありました。ざらっとした灰釉(かいゆう:木灰などで調合した上薬)の大ぶりなカップが目に留まりました。モーニングカップかと思いましたが、ホテルの方に聞いてみると泡盛用のカップとして作られたものだといいます。おみやげ用としてふたつ、包んで貰(もら)いました。

 それから数日、器好きの友人を道案内に工房巡りで楽しい時間を過ごしましたが、たくさん見すぎたせいでしょうか、この方にお願いしようというところまで至らず、振り出しの那覇に戻りました。今回、無理に決めなくてもまだ時間はある、そんなつもりもありました。

 東京へ戻る前に、いつものように市場でおみやげの野菜類を買い込み、スクランブルの交差点を渡って、どこかでコーヒーを飲みたいと歩きはじめた時でした。道路沿いのウインドーに並んでいる皿や壺(つぼ)がガラス越しに見えます。

 その店の奥の棚一面に、まさにわたしが探していた器が並んでいました。無用な飾りや彩色を排したシンプルなスガタだけれど、どこか温かみを感じさせています。心ひかれる器でした。念のために聞いてみました。

 「これは沖縄の作家の器ですか?」

 沖縄民芸と銘打っているお店に失礼なお尋ねでしたが、おもわずそんな質問が口をついて出てしまうほど、その器は、沖縄的なるものを突き抜けたすっきりとしたスガタでした。

大嶺實清さん(右)と筆者(撮影:渞<みなもと>忠之氏)
 第一ホテルに戻って、もしやと思い、お土産用に買ったカップの作者を尋ねてみると、同じ方のものと分かりました。これが出会いというものかも知れないと、帰りの便を最終便に変更して、読谷の大嶺實清さんの工房を訪ねたのでした。

 實清さんの器は、土もので重く、重ねにくく、切り離しのような鋭いエッヂの部分はかけやすく、もちろん手洗いでなければならず、板場泣かせの器であることは承知しているのですが、開業以来この器と決めて長いお付き合いになりました。

 實清さんは沖縄で教師をしたのち、戦後、「人間学的唯物論」で知られた哲学者、舩山信一の影響を受け、京都の立命館に学びました。作陶の道に入ったのは、卒業後だと聞いています。また、画家を志した頃もあったと伺いました。

 實清さんは、沖縄の陶芸界にあって師をもたず、琉球古陶のスガタとその心を師として独自の世界を切り開いてきました。

 實清さんの器の柔らかな質感と鋭い線は、沖縄の土と風土が育んだものに他なりません。あくまで琉球にこだわり、琉球的なるものを突き抜けていま、まぎれもない琉球へと回帰しようとしているかのように見えます。

 晩年のアーネスト・ヘミングウェーのような風貌(ふうぼう)をたたえながら、「このごろ、雑器を作るのが楽しくなってきてね」と、誰に言うでもなく呟(つぶや)いた實清さん。泡盛を少し控えて、ゆっくりと時を重ね、読谷の風に吹かれながら新たなる沖縄の器の歴史を刻んで欲しいと願っています。

高木凛さんに小学館ノンフィクション大賞

 「沖縄独立を夢見た伝説の女傑 照屋敏子」で高木凛さんがこのほど、第14回小学館ノンフィクション大賞を受賞しました。照屋敏子は、沖縄・糸満出身の女性。昭和30年代に沖縄の農業と海の可能性を求めて農水産研究所を作り、沖縄の自立を目指して無謀とも思えるほどさまざまな事業を展開した一生が評伝形式で描かれました。
 高木凛さんからは次のような喜びのメールが届きました。
「金曜の夜、七時を少し過ぎた頃、電話が鳴りました。板場は、慌ただしく最初のお料理の準備に追われています。手を動かしながら、みんな電話の成り行きに耳を傾けているのを感じます。
 『有り難うございました』と電話を切った途端、板場に拍手が鳴り響き、若いスタッフたちが『女将さんおめでとう』。わたしが三年近い日々、『女将さん』をしながら書いていることを知っていた人たちです。
 日頃、書籍などとは無縁の若い人たちですが、ずっと気にかけていてくれたことを知り、胸に応えました。何より嬉しい拍手でした。
 照屋敏子は復帰前、大宅壮一に『沖縄に男あり』といわしめたほどの女性で、敏子と深い交流のあったシャンソン歌手の石井好子さんの大きな励ましがなければ書き続けることは出来かったかもしれません」


高木凛

高木凛(たかぎ りん)

~赤坂潭亭主人、脚本家、料理研究家~

東京都出身。80年代後半からテレビやラジオの脚本家として活躍。「黄色い髪」(NHK)、「息子よ」(TBS)などを手がけ、「父系の指」 (TBS)では94年度ギャラクシー大賞を受賞。その後、病気療養で訪れた沖縄に魅せられて、東京・赤坂に沖縄懐石料理店「赤坂潭亭(あかさかたんて い)」を開き、主人となる。

赤坂潭亭ホームページ

このコラムは asahi.com アスパラ で 2007年7月25日 に掲載されたものです

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『まほろば食堂』とは
高木凛が〈心のまほろば〉綴ったエッセイ集です。
昨年一年間、朝日のアスパラクラブプレミアムコラムに連載されました。


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沖縄懐石 赤坂潭亭 東京都港区赤坂 6-16-11 浜ビル/03-3584-6646 代表:高木 凛(たかぎ りん)/株式会社高木アソシエイツ