home > 高木凛のまほろば食堂 > 野武士の如(ごと)き

野武士の如(ごと)き

豆腐餻(とうふよう)
 沖縄の珍味、豆腐餻(とうふよう)をご存知でしょうか。

 「豆腐のチーズ」などといわれて、おみやげ品としても盛んに作られているものです。豆腐餻は、琉球と中国との交易が盛んだった時代に大陸から渡来した中国の腐乳(ふにゅう)が、独自の発展をとげたものです。ただ塩辛いだけだった腐乳を、琉球の人たちは島豆腐(沖縄豆腐)と泡盛と麹(こうじ)で丁寧に仕込んで熟成させ、贅沢(ぜいたく)な宮廷の滋養食を作りあげました。

 その豆腐餻をヤマトの豆腐で仕込んでみようと思い立ちました。

 わたしの店では、沖縄の島々から島野菜や果物、皮付きの豚肉などを送ってもらっています。揚がったばかりの魚を市場で競り落とし、氷を詰めて送ってもらうという無理なこともしています。

 「豚まで空を飛んでくるのか」とお客様にあきれられることがありますが、「沖縄の素材をすべての空輸して」という店の看板にこだわっているわけではなく、皮付き豚の流通を禁じているヤマトの保健行政によるものです。

 ヤマトでは皮を出荷の段階で剥(は)いでしまいますが、豚を食べる歴史が長い沖縄は、皮を焼いて処理することが認められています。これは「鳴き声以外はすべて食す」といわれるほど、余すところなく食べる食文化の力です。

柳田國男(昭和24、25年ごろ)
 その沖縄の代表的な豚料理といわれるラフテー(豚の角煮)は、やはり伝統にのっとり、皮付きの肉で炊きたいので、豚の空輸は致し方ありません。

 豆腐餻を仕込む島豆腐も、やはり沖縄から取り寄せていました。

 ところが、出来立ての温かな豆腐を、冷めるのをまって野菜とともに送ってもらうと夕方の発送になり、豆腐を頼んだ日は野菜の到着が一日遅れることになります。

 そんな事情もあって、こちらのもので何とかしたいとヤマトの豆腐で挑戦してみたのですが、うまくゆきません。何と言ったらいいでしょう。ちょっと身持ちが悪いのです。

 ひと月、ふた月と漬け込んで熟成具合をみていると、芯がゆるみ、崩れ始めました。

 豆腐餻は、しっかりと作られた木綿豆腐を水切りして、2センチ角ぐらいの大きさに切り分け、塩をまぶし、弾力が残るゴムくらいの固さになるまで干し、さらにひとつ、ひとつの塩を泡盛で洗い落として、醗酵(はっこう)させた麹に4、5カ月漬け込み、熟成させていきます。

 この漬け込んでいる間の手の掛け方でまろやかさや味の深みが違ってくるのですが、ヤマトの豆腐は強い泡盛と麹に腰をとられてフラフラでした。

1959(昭和34)年春、沖縄・那覇市の国際大通りに近い国際マーケットで豆腐を売る店。内地風のヤマト豆腐と地元沖縄豆腐があり、切り売りしている(撮影:吉江雅祥、アサヒグラフ1959年3月15日号掲載『沖縄を現地に見る』から)
 民俗学者、柳田國男は1920(大正9)年暮れ、鹿児島から沖縄の宮古、八重山まで、2カ月にわたり冬の沖縄を旅しました。その見聞録、『海南小記』に、当時の沖縄の豆腐事情を次のように書いています。

〔西宿(いりじゅく)の名護街道などを通って見ると、買ふ家の數(かず)よりも多くは無いかと思ふ程、どこの家でも豆腐を造って賣(う)って居る。表を囲うた石垣の片端、例のガジマルの樹陰などに、麥酒(びーる)箱を少し毀(こわし)てそれへ板硝子(がらす)を嵌(は)め、僅(わず)かの豆腐を竝(なら)べて其(その)箱を枝に吊(つ)り、又は杭(くい)の上に載せて居る。所謂(いわゆる)人無しあきなひである〕

 当時、沖縄ではどの家でも豆腐は造られ、その半分を売っていたのだと言います。柳田國男はその沖縄の島豆腐を〔野武士の如き剛健なる豆腐である。華麗繊細なる都の絹漉(ご)しどもをして、面を布せ氣(き)萎(な)えしむべき豆腐である〕と評しました。

 豆腐餻はやはり、今も〔野武士の如き〕風貌(ふうぼう)を讃(たた)える島豆腐でなければ作れませんでした。もしや沖縄へ旅することがあったら、固まる前の豆腐も召し上がってみてください。これは〔野武士〕になる前の豆腐で、「ゆし豆腐」といいます。ヤマトではこのように固まる前の豆腐を食べる習慣がないのですが、豆の香りとニガリの塩味があいまって、えも言われぬ味の出会いの幸福感に満たされます。

 唐の時代に伝わったといわれている豆腐ですが、あの白い柔らかな食べ物になるまで、豆をふやかし、磨(す)り潰(つぶ)し、温め、絞り、熱して、ニガリを入れ、固めるという複雑な手順を踏まなければなりません。

 いま、中国の食が危ぶまれていますが、かつて中国の食の知恵は偉大でした。


高木凛

高木凛(たかぎ りん)

~赤坂潭亭主人、脚本家、料理研究家~

東京都出身。80年代後半からテレビやラジオの脚本家として活躍。「黄色い髪」(NHK)、「息子よ」(TBS)などを手がけ、「父系の指」 (TBS)では94年度ギャラクシー大賞を受賞。その後、病気療養で訪れた沖縄に魅せられて、東京・赤坂に沖縄懐石料理店「赤坂潭亭(あかさかたんて い)」を開き、主人となる。

赤坂潭亭ホームページ

このコラムは asahi.com アスパラ で 2007年8月1日 に掲載されたものです

2007年4月

2007年5月

2007年6月

2007年7月

2007年8月

2007年9月

2007年10月

2007年11月

2007年12月

2008年1月

2008年2月

2008年3月

『まほろば食堂』とは
高木凛が〈心のまほろば〉綴ったエッセイ集です。
昨年一年間、朝日のアスパラクラブプレミアムコラムに連載されました。


当サイトに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。
すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。

沖縄懐石 赤坂潭亭 東京都港区赤坂 6-16-11 浜ビル/03-3584-6646 代表:高木 凛(たかぎ りん)/株式会社高木アソシエイツ