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料理屋の課題図書

水上勉著『土を喰う日々』、新潮社刊
 わたしの店に縁あって就職してきた若いスタッフたちに、必ずプレゼントする一冊の本があります。それは水上勉さんの『土を喰う日々』という文庫本です。

 馴染(なじ)みの本屋さんに電話すると、「潭亭さんの課題図書ですね。何冊お取り寄せしますか」と聞かれます。開業いらい同じ本を注文し続けてきたので、本屋さんにはすっかり馴染みの本になりましたが、活字離れの進んだ若い人たちには、グラビアいっぱいの文字の少ない本の方が喜ばれるでょう。迷いましたが、今年もプレゼントはこの本にしました。わたしは彼らにこの本から読み取って欲しいことが、ひとつだけあるのです。

 『土を喰う日々』は、水上さんが軽井沢の仕事場の庭先に小さな畑をつくり、その収穫で料理を工夫する日々を綴(つづ)ったものです。水上さんは子どもの頃、寺に預けられ、血縁のない和尚を父として育ちます。十六歳から十八歳のころ、和尚の世話をしながら、典座(てんぞ)も兼ねていました。典座とは禅寺で食事を担当するお役のことです。

 ある冬の夜、和尚にお客さまが訪れます。「こんな寒い日は、畑に相談してもみんな寝てるやもしれんが、二、三種類考えてみてくれ」と言われます。水上さんはまず昆布の揚げたのをつまみに、燗酒(かんざけ)をだしておいてから、台所で考えます。そして慈姑(くわい)を洗って丸ごと餅網で焼いたものをお出します。ついさっきまで土の中にいた慈姑は、「ぷしゅっと筋が入った亀裂から、湯気とともに」独特の苦みのある香りを放ち始めます。なんと美味(おい)しそうな。水上さんは、〈精進料理とは土を喰うものだ〉と悟った修行の日々を回想しながら綴ります。

 どの章も料理本としても楽しめるように工夫されているのですが、中程から永平寺の開祖として知られる道元の『典座教訓』が分かりやすく引用されてゆきます。

慈姑(くわい)

 道元禅師(どうげんぜんじ)が中国で修行していた時の話です。明州慶元府(みんしゅうけいげんふ<現在の中国浙江省>)というところで船にのると、六十歳くらいの僧侶と出会いました。道元は、この老僧が船まで三十四、五里もある育王山(いくおうざん)の典座で、椎茸(しいたけ)を買いにきたことを知り、尋ねます。

 「寺には同じ務めの者も大勢いるでしょうに、なぜ代わりの者をよこさなかったのですか」。すると僧侶は答えます。「これこそ老いての修行の場というものです。どうして他の者にゆずれましょう」。

 道元は老僧の話に驚きます。「台所しごとなどに、おもしろいことがあるんですか」。老僧は大笑いして答えます。「あなたは(中略)、弁道(仏道修行のこと)の何たるかをご存知ない。文字が何たるかもわかっておいででない」。そう答えて老僧は、足早に去って行きました。感動した道元は、やがて育王山を訪ねます。

 水上さんは『典座教訓』の伝えるところをこう語ります。「ぼくは、三十四里も歩いて、椎茸を買いにきたこの僧の、台所人になりきった境地を思うのである。台所人になって、料理三昧(ざんまい)になりきったら、そこに文字もひらけ、修行もひらける道がある。(中略)何もない台所で、客の心をそんたく(忖度)し、そこにあるわずかな材料を、すりつぶし、煮、酢にあえて工夫の皿に盛る行為は、大学で学ぶ哲学の庭に似ていないか。弁道も、文字もそこにある」。台所人になりきって、喰うことにかかわることは〈一大事〉ではないのかと言うのです。

 わたしの店はこの本からさまざまなものを学びました。〈沖縄の土と光と水を食す〉という店の旗じるしもこの『土を喰う日々』から得たものでした。

 この道元の中国でのエピソードを若い人たちがどのように読んだのか聞いてみたいと思っているのですが、最後まで読んだかどうか、ちょっと心配でまだ聞いていないのです。


高木凛

高木凛(たかぎ りん)

~赤坂潭亭主人、脚本家、料理研究家~

東京都出身。80年代後半からテレビやラジオの脚本家として活躍。「黄色い髪」(NHK)、「息子よ」(TBS)などを手がけ、「父系の指」 (TBS)では94年度ギャラクシー大賞を受賞。その後、病気療養で訪れた沖縄に魅せられて、東京・赤坂に沖縄懐石料理店「赤坂潭亭(あかさかたんて い)」を開き、主人となる。

赤坂潭亭ホームページ

このコラムは asahi.com アスパラ で 2007年8月22日 に掲載されたものです

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『まほろば食堂』とは
高木凛が〈心のまほろば〉綴ったエッセイ集です。
昨年一年間、朝日のアスパラクラブプレミアムコラムに連載されました。


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沖縄懐石 赤坂潭亭 東京都港区赤坂 6-16-11 浜ビル/03-3584-6646 代表:高木 凛(たかぎ りん)/株式会社高木アソシエイツ