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『ニライカナイ・魂の帰る国』

抜けるような青空のかなたには、神々が棲むと信じられてきた久高島
 はじめて『ニライカナイ』という不思議な言葉に接したのは本の中ではありませんでした。沖縄南部、知念半島の洋上に浮かぶ離島、久高島で耳にしたのです。

 久高島は、古来(こらい)から琉球王府の神事を司(つかさ)どってきた島で、周囲7キロのしずくのような形をした小さな島です。琉球の開祖神、アマミキヨが降臨した島といわれ、代々の琉球王は、毎年、久高島詣でを欠かしませんでした。薩摩によって久高へ渡ることが禁じられてからは、本島南部のセーファ御獄(うたき・神々の宿る処)から久高島を遙拝(ようはい)したと伝えられています。

 店を開く前のことですから、少なくとも十年以上も前のことになります。身体を壊して沖縄で療養していた頃のことです。わたしの旅は、本島から八重山の島々をまわり、「神の島」といわれる久高島に行き着いたのです。コンビニも銀行もない。郵便局も信号もないこの島で、わたしはそれまでの半生のなかで初めて予定のない時間を過ごしました。

 この島で、ひとりで民宿を営む西銘ハナさんの家に御世話になり、時折、ハナさんの畑を手伝い、一緒に台所に立ちました。朝が白々と明ける頃、潮騒と家の前を浜へ急ぐピタピタというゴム草履の音で目覚めます。時はわたしの知らぬ間に過ぎてひと月ほどたった頃でしょうか。

 ハナさんを畑に迎えにいった帰り道、少し遠回りして島の突端のカベール岬に寄りました。ハナさんとわたしは吹き抜ける潮風に当たりながら腰をおろして、途中の道沿いでもいできた芳しいばんしるの実(グァバ)をシャツで拭(ふ)いて頬張(ほおば)りはじめました。するとハナさんは耳元でふいに、ヒャッヒャッと喉(のど)の奥からこみあげるように笑いだしました。顔をクシャクシャにして、種を器用に吐き出せないわたしが可笑(おか)しいというのです。

 この時だったと思います。ハナさんが眼下の岩礁を指差(ゆびさ)して、子どもに諭すように語り始めたのです。

 「タカキさん、あの岩はね、琉球の最初の神様、アマミキヨが天から降りたところ。そしてこのカベールから島に入られた。それから本島にゆき、あっちこっちの島にも行かれた。祭りの日は、海のむこうのニライカナイからここを通って島にやってくる。そしてまた、祭りが終わるとここからニライカナイへ帰ってゆかれる。ここはそういうところ」

 今年82歳になるハナさんは子どもの頃に親許(おやもと)を離れ、雇い子としてパラオに渡り、昭和20年、戦火の激しい沖縄本島に戻され、砲弾運びに従事した人で、生まれ島に辿(たど)り着いたのは戦後のことでした。

西銘ハナさんと筆者=ハナさんの自宅の台所で
 青い海のかなたには、神々の棲(す)む豊穰(ほうじょう)の地がある、人々はそう信じていました。『八重山年来記』には、あまりの重税に苦しんだ村人たちが、集団でニライカナイを目指して村を脱出したという記録もあり、また、役人の目を逃れて村を脱出する寸前に、家に忘れてきた鍋を取りに戻った女が、ひとり浜に取り残されてしまったという『鍋かき浜』の民話も伝えられています。

 沖縄の海洋信仰の象徴として語られる神々の源郷、ニライカナイはニラーハラーともいわれ、『日本書紀』や神話に登場する根の国にも通ずるといわれています。識者の語るニライカナイについての諸説は興味深いものでしたが、しかしそれはもはや忘却の彼方(かなた)へ消えてしまい、ハナさんが語った言葉だけがいまもわたしの心に深く刻まれています。

 「ニライカナイは、わたしが死んだら、わたしの魂の帰るところさね」

 抜けるような青空の下で、死後の世界を語ったハナさん。魂の帰るところを持つ人々の幸福。わたしは南の強い光に射抜かれて、ただ海の彼方を見つめるばかりでした。


高木凛

高木凛(たかぎ りん)

~赤坂潭亭主人、脚本家、料理研究家~

東京都出身。80年代後半からテレビやラジオの脚本家として活躍。「黄色い髪」(NHK)、「息子よ」(TBS)などを手がけ、「父系の指」(TBS)では94年度ギャラクシー大賞を受賞。その後、病気療養で訪れた沖縄に魅せられて、東京・赤坂に沖縄懐石料理店「赤坂潭亭(あかさかたんてい)」を開き、主人となる。

赤坂潭亭ホームページ
関連情報 小学館ノンフィクション大賞を受賞

このコラムは asahi.com アスパラ で 2007年9月19日 に掲載されたものです

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『まほろば食堂』とは
高木凛が〈心のまほろば〉綴ったエッセイ集です。
昨年一年間、朝日のアスパラクラブプレミアムコラムに連載されました。


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