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ゆらり 商(アチネー)

『赤坂 潭亭』の外観
 「女将(おかみ)さん、お客様に配る10周年の記念の品は何にしましょうか。もう決めないと間に合いませんよ」と、せかされて1月の準備を始めています。

 十年一昔といいますが、早いものでわたくしのささやかな店も、来年の1月で10周年になります。開業は1998年の1月、前日に降った雪が歩道に残る寒い日でした。

 あれからもう10年たったのだろうか。つい昨日のことのように思い出されます。

 『赤坂 潭亭』は、はじめは青山に出すはずでした。青山の骨董(こっとう)通りから一本中に入ったところに建つ真新しいビルの1階を勧められました。一目で気に入ったのですが、そのビルを設計した建築家から、沖縄料理の店は困ると言われて、実現しませんでした。美しい建物でしたから、それだけ建築家の思い入れも深かったのでしょう。

店内に飾られたシーサーの像
 予定通り青山に造っていたら、『青山 潭亭』となるはずでした。結局わたしには店など無理なのかもしれない、ご縁がなかったのだと店造りをあきらめかけていたところに、「赤坂はどうですか」と探して下さる方がいて、いまの場所に落ちついたのです。

 案内されて初めて訪れたビルの地下スペースは、むき出しのコンクリートの中に鏡張りのドアなどが残されていて、聞けば一年前まではピアノ演奏なども行われていたイタリアンレストランだったということでした。時にはカンツォーネなども歌われていたのかも知れません。取り外した設備や家具の跡がうっすらと残っていて、そこはまさに夢の跡でした。

 ガランとした空間に佇(たたず)んでわたしは初めて、店を造るということへの恐れを抱いたものです。人が集い、料理が出されて初めてそこが生きた場所になるのです。店はひと時の虚構。店を造るということは虚構を作りだすことに挑むということなのだと、そんな思いがよぎりました。真新しいビルに入っていれば、こうしたことに思いを馳(は)せることはなかったでしょう。

 店というものは、ひと時の夢まぼろしだとするならば、楽しんでみよう。沖縄の良きもの、美しいものを集め、小さくともヤマトと琉球の出合う処を作ろうと、次々と夢は膨らみました。この時、ひとつ忘れていたのが「商(あきない)」ということです。慌てて「損益分岐点」などということを学びましたが、後のまつり。店は歩き始めていました。

地下への入り口
 あれから10年。開店の日は大にぎわいだったものの、翌日は一組、さらにどなたもいらっしゃらない日も・・・。夢まぼろしの合わせ鏡の後ろ姿には、リアルな現実というものがくっきりと写し出されていたのです。よくぞ10年続いたものだと思います。

 沖縄の諺(ことわざ)に「ゆらり 商売(アチネー)」というのがあります。直訳すれば道草商売ということでしょうか。ゆっくり話し込んで、世間話に花を咲かせ、商談を成立させる。せいては事をし損じるという訳です。

 この諺の語源となったと思われる「ゆらりゆん」は、怠けるという意味です。わたしの場合は、この先もまだまだ怠けるわけにはゆかないでしょう。しかしこれからは、この『ゆらり 商売』にならって、せいぜい道草をしながら、訪れてくださる様々な方々との出会いを楽しみ、沖縄の食を語り、ゆらり、ゆらりとやっていけたらと思っています。


高木凛

高木凛(たかぎ りん)

~赤坂潭亭主人、脚本家、料理研究家~

東京都出身。80年代後半からテレビやラジオの脚本家として活躍。「黄色い髪」(NHK)、「息子よ」(TBS)などを手がけ、「父系の指」(TBS)では94年度ギャラクシー大賞を受賞。その後、病気療養で訪れた沖縄に魅せられて、東京・赤坂に沖縄懐石料理店「赤坂潭亭(あかさかたんてい)」を開き、主人となる。

赤坂潭亭ホームページ
関連情報 小学館ノンフィクション大賞を受賞

このコラムは asahi.com アスパラ で 2007年10月24日 に掲載されたものです

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『まほろば食堂』とは
高木凛が〈心のまほろば〉綴ったエッセイ集です。
昨年一年間、朝日のアスパラクラブプレミアムコラムに連載されました。


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