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白秋

シンポジウムで講演する筆者(07年10月)

 先日、わたしは招かれて有楽町の国際フォーラムで行われた癌(がん)のシンポジウムに伺いました。そのような催しに参加するのは初めてのことでした。

 熱心なお誘いを頂いてお引き受けしたのですが、パンフレットに基調講演と紹介されているのを見て、足がすくむ思いでした。

 「再発転移を生きる」というテーマでお話をすることになったのですが、この催しに集う方々は、恐らくご自身が病を得た方か、あるいは近親者が闘病中という方々でしょう。そのことを思うと、当日になってもまだ、その方々に語るべき言葉を見つけあぐねていました。

 週末の有楽町は、たくさんの人が行き交い、ビルの谷間を心地良い秋風が吹き抜ける、まばゆいばかりの秋日和です。

 わたしが最初の乳癌の手術をしたのは1995年でした。それから8年後の2003年8月に二度目の手術をしました。90年代は、術後3年経過すれば大丈夫だといわれていた時代です。それが術後8年という時を経ていましたから、再発を告げられた時は、まさかという思いで、茫然(ぼうぜん)としました。すっかり無罪放免と安心しきっていたのです。あの夏の日の診察室でのやりとりが、次々と思い出されます。

秋に輝く紅葉

 登壇前に控室で、事前に寄せられていた質問を見せていただきました。その多くは、現在服用している抗癌剤や治療方法について、より専門性の高い意見を聞かせて欲しい、という医師たちへの切実な思いに満ちたものでした。

 会場にいらした方々が望んでいるのは、経験談を聞くことなどではないのです。主催者に「困りました」とお伝えすると、シンポジウムに参加した先生方が、会場が診察室のようになってしまわない方がいいんです、と励まして下さいました。日々、多くの癌患者と向き合っておられる先生方の中には、「フェルメールの絵に永遠の生命を感じる」とおっしゃる方もいて、穏やかな方々でした。わたしは土壇場で、引き返すわけにも行かず、ままよと登段しました。

 12年前、最初の乳癌の手術のあと、次々と近しい人たちが亡くなるという出来事が重なり、いざ仕事復帰という時に、読むことも書くことも出来ないという苦しい日々のなかで、わたしは沖縄と出合いました。そして、まったく思いもよらなかったことですが、「沖縄料理の店」を造るということになったのです。

秋の夕日

 4年前の2度目の手術では、気力も体力も萎(な)えていたわたしの前に、強い光を放ちながら沖縄の女傑「照屋敏子」という女性が立ち現れました。おそらく病を得なければ、「照屋敏子」という女傑の生涯を書くなどという無謀なことに挑むことはなかったと思うのです。わたしの場合は、病が思わぬ地平を切り開いてくれました。

 終わりの時を見つめることは、新たな人生のはじまりとも言えるのかもしれません。病に囚(とら)われることなく自らの力を恃(たの)み、輝く季節を生き抜いて欲しいと願うばかりです。

 人生を青春、朱夏、白秋、玄冬という四つの季節に譬(たと)えるなら、わたしはいま「白秋」のただ中にいます。論語によれば、「朱夏」の季節には身を立て、惑わず、天命をわきまえるとあります。天命を知って迎えたはずの「白秋」ならば、病もまた天命と心得て、共に生きてみようと思っているところです。


高木凛

高木凛(たかぎ りん)

~赤坂潭亭主人、脚本家、料理研究家~

東京都出身。80年代後半からテレビやラジオの脚本家として活躍。「黄色い髪」(NHK)、「息子よ」(TBS)などを手がけ、「父系の指」(TBS)では94年度ギャラクシー大賞を受賞。その後、病気療養で訪れた沖縄に魅せられて、東京・赤坂に沖縄懐石料理店「赤坂潭亭(あかさかたんてい)」を開き、主人となる。

赤坂潭亭ホームページ
関連情報 小学館ノンフィクション大賞を受賞

このコラムは asahi.com アスパラ で 2007年10月31日 に掲載されたものです

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『まほろば食堂』とは
高木凛が〈心のまほろば〉綴ったエッセイ集です。
昨年一年間、朝日のアスパラクラブプレミアムコラムに連載されました。


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