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優しいまなざ

熱海市伊豆山の百山茶寮にある小林一茶の掛け軸

 思いがけない出合いでした。熱海のレストランに飾られた一幅のお軸です。しばらく立ち去りがたい思いにかられました。

 それは、小林一茶の「外ケ濱(そとがはま)」と題する掛け軸で、一筆書きの松の墨絵に、次のような一句が添えられています。

 けふからは 日本の雁そ 楽に寝よ

 一茶はご存じのように江戸時代を代表する俳諧師で、1763(文政10)年、65歳でその生涯を閉じています。

 一茶自身の筆になるこの句は、青森の外ケ濱に降り立った雁を詠んだもので、添え書きの詠み下しには、「はるばると渡ってきた雁よ、これからは日本の雁だ。安心してゆっくりと寝るがよい」とあります。作品解説には、美人画で知られる伊東深水旧蔵と記されています。日本画壇にあって華やかな活躍をした伊東深水は、この簡素なお軸と向かい合い、何を読み取り、何を語らっていたのでしょう。 

 お軸に描かれているのは、浜辺に屹立する3本の松だけで、雁は描かれていません。遠来の雁は、津軽の海風に耐えて浜辺に羽を休めているのでしょう。風の音を聞きながらその雁を見つめているのは松と一茶です。

小林一茶『文政版・一茶俳句集』(長野県高山村「一茶の里」所蔵)より

 不遇だった一茶だからこそなのでしょうか、遠くから旅してきた雁に、「もう安心だよ」といたわりの言葉をかけています。「日本」という大仰な言い方と、寝るという身近な言葉の取り合わせが一茶らしい温かなユーモアを醸しだしてもいます。当時、「日本」という言葉はどのような響きを持っていたのでしょう。一茶のお軸は様々なことを語りかけてきます。

 思わぬ時を過ごした帰り道、何故こんなにも一茶に心ひかれたのかしらと、自問していました。

 新幹線の待合室のテレビでは、薬害患者のデータが厚労省の地下倉庫に封印されていたという心痛むニュースが映し出されています。少し前には、若い力士が稽古という名の暴力のもとに命を落とし、ボクサー親子の不遜な振る舞いと反則行為が繰り返し映し出され、目を背けたくなるような映像や彼らの尖った言葉が、膨大な時間を費やして流され続けていました。

 心が言葉に染まる、ということがあるのならば、心に錠を下ろさねばならぬ時代を迎えているのかも知れません。

 一茶は信濃の国(長野県)の貧農の長男として生まれ、3歳の時に生母を亡くし、8歳で継母を迎えました。継母に馴染めず、やがて江戸へ奉公に出て、俳諧の世界と出合い、近畿、四国、九州と修行の旅を続けました。長じても継母との軋轢から逃れられなかった一茶でしたが、その生涯は故郷、信濃柏原の土蔵で閉じました。

飛び立つ雁の群れ

 一茶が生きた江戸末期からおおよそ200年。わたしたちは予測もつかない豊かさと便利さを手にしました。一茶の優しさは、功利的な現代では無価値なもののようにも見えますが、人間をめぐる営みはいつの世もさして変わりはない筈です。わたしたちは、豊かさと引き換えに、失ってゆくものの大きさに気づく時がきているのかも知れません。

 海辺で羽を休める雁に向けられた一茶の優しいまなざしに惹かれるのは、自分自身の心がいつの間にかたかぶり、苛立っているからなのでしょう。不意の一茶との出会いは、忘れ物が突然届けられたような、思いがけない静かで温かな時間でした。


高木凛

高木凛(たかぎ りん)

~赤坂潭亭主人、脚本家、料理研究家~

東京都出身。80年代後半からテレビやラジオの脚本家として活躍。「黄色い髪」(NHK)、「息子よ」(TBS)などを手がけ、「父系の指」(TBS)では94年度ギャラクシー大賞を受賞。その後、病気療養で訪れた沖縄に魅せられて、東京・赤坂に沖縄懐石料理店「赤坂潭亭(あかさかたんてい)」を開き、主人となる。

赤坂潭亭ホームページ
関連情報 小学館ノンフィクション大賞を受賞

このコラムは asahi.com アスパラ で 2007年11月14日 に掲載されたものです

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『まほろば食堂』とは
高木凛が〈心のまほろば〉綴ったエッセイ集です。
昨年一年間、朝日のアスパラクラブプレミアムコラムに連載されました。


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