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時の花をかざして

ハイビスカスと海

 「沖縄ブーム」はまだ続いているようです。わたしが赤坂のはずれに小さな店を開いた10年前には、赤坂、青山に沖縄料理の看板を掲げる店は1軒もありませんでした。しかし、その後、沖縄を舞台にしたテレビドラマや沖縄の歌の大ヒットという追い風を受けて、沖縄料理のお店が銀座、新宿、高円寺と大変な勢いで増え続けています。もちろん、赤坂にも青山にもできました。

 十年一昔といいますが、この10年の間に東京の沖縄料理店の数は、ゆうに100軒を超えて、ひとつの県の郷土料理としてみると、おそらく47都道府県中、随一なのではないでしょうか。沖縄はまさに季節に咲き誇る「時の花をかざして」華やかに登場したのです。

 少し前まで、都内の沖縄料理店は沖縄関連企業や沖縄出身の方々の拠り所でした。今はその方々に加え、沖縄を旅し、沖縄の思い出を共有する人々が集い、東京で沖縄を懐かしむ場になっているのではないかと思えます。

晩年の照屋敏子

 銀座に出店している県の物産館も大変な賑わいをみせ、沖縄の食や物産が身近になって、沖縄通を自認する人々も増えました。沖縄は沖縄自身によって、あるいは沖縄を愛する人々によってここ東京で大変な広がりを見せています。この沖縄の時代の到来は何を意味しているのでしょう。

 高ストレス社会にあって、沖縄の存在は貴重です。沖縄の人々の緩やかさや、まだ残されている手つかずの自然に癒されたいと沖縄に向かう人々はこれからも増え続けるでしょう。しかし求められる沖縄はいつか消費されてしまうのではないでしょうか。ブームはいつかは去るものです。

 沖縄には本土にはないものがあります。燦々(さんさん)と照りつける太陽と、藍より青いといわれる澄んだ海と固有の文化です。

 かつて、その太陽と海を活かして、沖縄独自の産業を沖縄人自身によって起こせないかと苦闘し、沖縄の経済的自立を夢見た女傑がいました。照屋敏子(1911~84年)という沖縄の事業家です。彼女の試みた果樹の栽培や日本本土への移出、海老や魚の養殖など、いま様々な独自の産業起こしが、多くの人々の努力によって盛んになり、広がりを見せ始めています。照屋敏子という人がいま存命ならば、「時の花をかざして」登場したのなら、その花を見事に咲かせて踊りきれ、散らしてはならないと檄を飛ばしたに違いないのです。

畑の風景

 ところでこの「時の花をかざして」という言葉を、わたしは時を告げる花をかざしてと理解していたのですが、正しくは「時の花を挿頭(かざし)にして」でした。挿頭というのは、髪や冠に挿す花や造花のことで、宴や儀式などでは官位によって挿す花が異なったそうです。「時の花を挿頭(かざし)にして」とは、時勢に逆らうことなく世渡りするのがよいという程の意味でしたが、わたしはわたしの勝手な思い入れのままに、この言葉を使わせて頂くことにいたします。

 「時の花をかざして登場した沖縄よ、明けもどろの舞を美しく舞え」


高木凛

高木凛(たかぎ りん)

~赤坂潭亭主人、脚本家、料理研究家~

東京都出身。80年代後半からテレビやラジオの脚本家として活躍。「黄色い髪」(NHK)、「息子よ」(TBS)などを手がけ、「父系の指」(TBS)では94年度ギャラクシー大賞を受賞。その後、病気療養で訪れた沖縄に魅せられて、東京・赤坂に沖縄懐石料理店「赤坂潭亭(あかさかたんてい)」を開き、主人となる。

赤坂潭亭ホームページ
関連情報 小学館ノンフィクション大賞を受賞

このコラムは asahi.com アスパラ で 2007年11月21日 に掲載されたものです

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『まほろば食堂』とは
高木凛が〈心のまほろば〉綴ったエッセイ集です。
昨年一年間、朝日のアスパラクラブプレミアムコラムに連載されました。


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