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挽歌

東京の夜景

 夜、店の仕事を終えて家に帰って来て、テレビの遅いニュース番組を見ながら少しの酒を口にするのが、最近は習慣のようになっています。

 ビールグラスを手に、ふと窓に目をやると、闇を背に見知らぬ女がひとりこちらを見ています。硝子(ガラス)に浮かんでいる、もうひとりのわたしです。

 わたしはいつもこんな顔をして他人と向き合っているのだろうか。ちょっと驚きです。思い描いている自分とまるで違います。

 もうひとりのわたしを見つめているうちに、ふと、わたしはどちらに似たのだろう。父だろうか、母だろうか、と考えます。

 幼い頃から面差しは父、気性は母だと言われてきました。しかし,振り返ってみると、事の大小は別として思いがけない世界に足を踏み入れたり、思いがけないことに挑んだりするところは、やはり父似だったのかも知れません。

 二人とも明治の終わりから大正、昭和と、家族という軛(くびき)を超えて少し破天荒な生き方をして、この世に兄とわたしを残し旅立ちました。その兄もすでに亡くなりました。

 わたしは母が生きた歳を越せないのではないかと思っていましたが、今は母が旅立った歳に近づきつつあります。

 今年の初めに親しかった友が、突如旅立ちました。友を亡くした悲しみと痛みは、日々の暮らしの中で不意に顔をのぞかせます。いまわたしが手にしているビールグラスを見ても、友はビールよりもジントニックを好んでいたところを思い出してしまいます。

 血がかよい、ぬくもりのあった肉体は、鼓動がやんだ時からじきに冷たく硬い躯(からだ)となっていきます。死の瞬間まで人間の肉体に宿っていたはずの「こころ」は、どこへ消えたのでしょう。

あかばなー(竹富島で)

 万葉の時代の人々は、腐乱した屍(しかばね)の腸などの臓器をみて、これを「こころ」の在り処と考えたようです。「こころ」の枕ことばは「むらきも(群肝)」ですから、やはり内蔵が群れ集まったところに「こころ」はあったのです。万葉の時代には、旅の途上で行き倒れて亡くなる人も多かったのでしょう。

 万葉集・巻の三には、「家ならば 妹が手まかむ 草枕 旅に臥(こ)やせる この旅人あはれ」〈家にいたなら妻のかいな(腕)を枕にしているだろうに。草を枕に旅先で一人倒れ伏しているこのお方は、なんとあはれなことよ〉という挽歌(ばんか)があります。

 挽歌は死を悲しむ歌として用いられますが、元の意味は柩(ひつぎ)を挽(ひ)くときにうたわれた歌だといわれていまず。

 万葉の人々がこころを「ながきもの」と呼んだのが、臓器からの発想だとすれば、なんとも怖いほどリアルな表現ということになりますが、「こころ」「思い」「魂」は、肉体が滅んだあとも永くつづくもの、ほろびることのない「ながいもの」という意味だと考えると、逝く人を見送った者の悲しみがにじむ言い方だといえるかもしれません。

 人間の生は、電気のようなもので、通電している間だけ輝いて、終わる。あとはただの躯だともいわれます。人間の死は恐らく科学的にはそのような説明に尽きるのでしょうが、死者の「こころ」は、残された生者の「こころ」のなかに生きつづけるのだと信じてみたいとも思います。

 とりとめもなく、こんな感慨を抱くもの年の瀬だからでしょうか。

 ガラスのなかの見知らぬ女は、闇を背にしてまだこちらを見ています。



高木凛

高木凛(たかぎ りん)

~赤坂潭亭主人、脚本家、料理研究家~

東京都出身。80年代後半からテレビやラジオの脚本家として活躍。「黄色い髪」(NHK)、「息子よ」(TBS)などを手がけ、「父系の指」(TBS)では94年度ギャラクシー大賞を受賞。その後、病気療養で訪れた沖縄に魅せられて、東京・赤坂に沖縄懐石料理店「赤坂潭亭(あかさかたんてい)」を開き、主人となる。

赤坂潭亭ホームページ
関連情報 小学館ノンフィクション大賞を受賞

このコラムは asahi.com アスパラ で 2007年12月19日 に掲載されたものです

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『まほろば食堂』とは
高木凛が〈心のまほろば〉綴ったエッセイ集です。
昨年一年間、朝日のアスパラクラブプレミアムコラムに連載されました。


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