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西表島、紅露工房を訪ねて 上

石垣昭子さん

 2月の連休を利用して、西表島(いりおもてじま)の染色家、石垣昭子さんの紅露(くーる)工房を訪ねました。

 数日前から雨が降り続き、その日は傘もさせないほどの横殴りの雨でした。気温は17度。関東では早春の気温ですが、南の島ではとても寒く感じます。ホテルのショップでビニールの雨カッパを着込んで石垣港から西表島へ向かいました。

 こんな天気の中をとも思いましたが、次に八重山を訪れるのはいつになりか分かりません。念のために昭子さんに連絡をすると、「海が少し荒れているかもしれませんが、お待ちしています」と、電話の向こうの声はいつもと少しも変わりません。島で暮らす人々にとって、この程度の雨風は珍しいことではないのです。昭子さんの声の気配でそのことを感じたわたしは、ためらわず伺うことにしました。

 石垣昭子さんは沖縄を代表する染色家のひとりです。竹富島で生まれ、東京の女子美術大学で染色を学んだ後、人間国宝の志村ふくみさんに師事し、西表島の石垣金星(きんせい)さんと出会い、ご夫妻で西表島の租納(そのう)に工房を開きました。昭子さんの仕事は世界的に評価も高く、ニューヨークのMOMA美術館のジャパンテキスタイルにも出展し、注目を集めました。

 昭子さんは芭蕉や苧麻(ちょま)から糸を紡ぎ、布を織り、紅露と呼ばれる紅山芋や福木やマングローブなどの島の自然素材で糸を染めて、西表の海と川が交わる汽水域で海晒しをします。ここまでの仕事をひとつの工房でなしとげているのは、恐らく日本ではこの紅露工房だけではないかといわれています。

 その昭子さんにわたしは店をつくる前、今から12年ほど前になるでしょうか、石垣島で出会い、店の暖簾(のれん)を2枚お願いしました。その後、暖簾が傷む度に作って頂き、昭子さんが講演や作品展などで東京にいらした時は、出来るだけ伺うようにしてきました。そんなお付き合いのなかで、東京の麻布で行われた小さな催しで昭子さんが語った、蚕(かいこ)の話がずっと耳に残っていました。その続きを聞いてみたいと思っていたのです。

ガジュマルの木

 蚕は、人間による管理なしでは成長できないといわれています。蚕は、桑の葉を食べ続けて、やがて絹糸を吐きながら自らを包み込む繭を作り上げてゆきます。毎日、桑の葉を与え続けなければならないのです。昆虫としての蚕は、もはや足の吸盤も退化して木に登ることも出来なくなってしまっているそうです。

 昭子さんはその蚕を西表の自然の中で、野性に戻そうとしているのです。人間が桑の葉を与えるのではなく、桑の木に放って、雨風にも耐え、自ら桑の葉を食べさせようというのです。さらに繭も人間の与えた小さな箱の中で作らせるのではなく、自然の中で繭を紡がせてみたいというのです。西表の大自然とともに暮らす昭子さんならではの面白い試みだと思いました。

 西表島の大原港には石垣から船で約40分。昭子さんの紅露工房は港から路線バスで約30分ほどの租納(そのう)というところです。初老の運転手さんに「石垣昭子さんの紅露工房へ行きたいんですが」と告げると「あぁ、金星のとこね」と、一言呟(つぶや)いて、バスはゆっくり動きだしました。

 乗客はわたしひとり。窓は蒸気で曇り、外の景色は運転席のワイパーからわずかに前方が見えるだけです。不安になりかけたころ、ふいに停留所も何もない道端でバスは止まりました。「工房はこの奥だから」と指さしています。見ると、道路から林の中に向かって細い道が続いています。バスを降りて、道に誘われるように進んでゆくと、道端にヤギが雨に打たれて寝ころんでいます。さらに進んでゆくとガジュマルの木陰から犬たちが顔を出して、ほえ立て始めました。熱帯の林の中の工房が、雨に煙って見えて来ました。(続く)


高木凛

高木凛(たかぎ りん)

~赤坂潭亭主人、脚本家、料理研究家~

東京都出身。80年代後半からテレビやラジオの脚本家として活躍。「黄色い髪」(NHK)、「息子よ」(TBS)などを手がけ、「父系の指」(TBS)では94年度ギャラクシー大賞を受賞。その後、病気療養で訪れた沖縄に魅せられて、東京・赤坂に沖縄懐石料理店「赤坂潭亭(あかさかたんてい)」を開き、主人となる。

赤坂潭亭ホームページ
関連情報 小学館ノンフィクション大賞を受賞

このコラムは asahi.com アスパラ で 2007年2月20日 に掲載されたものです

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『まほろば食堂』とは
高木凛が〈心のまほろば〉綴ったエッセイ集です。
昨年一年間、朝日のアスパラクラブプレミアムコラムに連載されました。


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