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アーサの海

緑色に染まった宮古島の海

 海岸沿いの細い道を走っていて、思わず運転していたレンタカーをとめました。海から吹く風がいつもの潮風ではなく若草の香りが海から吹き上げてくるのです。見ると海一面が柔らかな緑に覆われています。沖縄本島中部の読谷村(よみたんそん)近くの長浜というところでした。

 春先、沖縄ではこの長浜に限らず浅瀬の海が一面、緑色に染まります。アーサです。アーサとは、本土でいう「青さ」という緑色の海藻のことです。アーサはアオサ科とヒトエグサ科がありますが、沖縄でいうアーサは香りのよいヒトエグサ科の方です。

 穏やかな日に吹く海風はそれだけでも心地よいものですが、その海風が更にアーサの香りに満ちているというだけで、しばらく立ち去りがたい幸福感に満たされました。

 その幸福感はどうやら、目の前にこんなにおいしそうな海藻があるという感覚と無縁ではないのかも知れません。食いしん坊のわたしには、目の前に食べるものがこんなにたくさんあるということに幸せを感じてしまうのです。

 沖縄の食卓にアーサはよく登場します。アーサ汁といって、アーサを水洗いして出し汁に浮かべ、小角に切った島蒲鉾とあわせます。またみそ汁にさっと浮かべたり、さっと水切りして天ぷらにしたりすることもあります。アーサの身上はさわやかなその薄緑色と香りにあります。

 長浜で靴を脱ぎ、車にあったビニール袋に水抜きの小さな穴をあけて、浅瀬のアーサ採りを楽しみました。浜辺には私たち以外にもアーサ採りの人たちの姿がちらほち見えています。生業としてアーサを採っている人はいません。友人や知人と連れ立ってやってきてアーサ採りを楽しんでいるという風情です。

東京の「銀座わしたショップ」では、生アーサが売られていた

 アーサは、今やスーパーに行けば乾燥して小分けされたビニール袋入りのものが季節を問わず並んでいます。かつてのように家々の女たちが必要な分だけ採ってきて、乾燥させて保存しておくという風習は遠いものになりました。

 沖縄には「三里四方を食す」という食についての言葉があります。この言葉が伝えられた時代背景には、島々との間の交流を禁じた琉球王府の施政方針も大きく横たわっています。島のもので、村のもので腹を満たさねばならなかったのです。時代が大きくひと回りした現代、日本国政府は「地産地消」などと、かつての沖縄の「三里四方を食す」をおもわせる言葉をつくり出し、ささやきはじめました。

 なんと今や日本の国は食料の自給率が40パーセント台になってしまっているそうです。沖縄の自給率は何パーセントなのでしょうか。本土の自給率は戦後の高度成長時代に急速に低下し、より便利で早いもの、より大量に生産されて安いものへと選び取る自由が与えられて、そのことに夢中になっているうちに、いつの間にかこの国は、自分の腹を自分で満たすことが出来なくなってしまっていたのでした。

 しまった、とことの重大性に気がついたお役人たちは、「食育」というあらたな言葉を発明しました。食べることへの、あるいは食物への関心を育てようというのです。そういう一方で、ボスターまで制作して米を作りすぎてはいけないというキャンペーンをしています。わたしは混乱してきました。作物を作る場があり、作る人がいて、初めてその技も伝承されるのです。ただその量や値段という数字だけを物差しとしている限り、作る人々は次第に消えていってしまうのではないかと心配なのです。

 作物を作る喜びと、それで日々の暮らしが成り立つことを両立させることが、食べることに限らない人間の心の安寧を保つことではないかと思えるのですが。

 ビニール袋に詰められた柔らかな薄緑色のアーサは、レンタカーの小さな車体のなかでここぞとばかりに心地よい海藻の香りを放っていました。「三里四方を食す」は、沖縄の食料自給率が100パーセントだった時代のことと言い切ってしまうには、あまりに沖縄の自然の恵みは豊かです。


高木凛

高木凛(たかぎ りん)

~赤坂潭亭主人、脚本家、料理研究家~

東京都出身。80年代後半からテレビやラジオの脚本家として活躍。「黄色い髪」(NHK)、「息子よ」(TBS)などを手がけ、「父系の指」(TBS)では94年度ギャラクシー大賞を受賞。その後、病気療養で訪れた沖縄に魅せられて、東京・赤坂に沖縄懐石料理店「赤坂潭亭(あかさかたんてい)」を開き、主人となる。

赤坂潭亭ホームページ
関連情報 小学館ノンフィクション大賞を受賞

このコラムは asahi.com アスパラ で 2007年3月12日 に掲載されたものです

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『まほろば食堂』とは
高木凛が〈心のまほろば〉綴ったエッセイ集です。
昨年一年間、朝日のアスパラクラブプレミアムコラムに連載されました。


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